2026.01.09

MURAKAMI SEVENと村上敦司

※本記事は、2024年夏にJICAグローカルプログラムの研修生として株式会社BrewGoodで活動した遠藤かなえ氏が、活動の一環としてGOOD HOPSの醸造責任者・村上敦司にインタビューを行い、まとめたものです。文中に登場する「第3ブルワリー」は、GOOD HOPSを指しています。村上の経歴や、彼が開発した「MURAKAMI SEVEN(ムラカミセブン)」についても詳しく紹介されていますので、ぜひご一読ください。

岩手県遠野市は、ビールの原材料であるホップの一大生産地です。ここ遠野市ではホップの栽培が始まって60年以上が経ちますが、常に今までよりも良いものをつくろうと、多くの方々がホップに対して果てしない情熱を持って取り組んでいます。

そんな遠野市で、近年栽培面積を増やしているホップの品種があります。その名は「MURAKAMI SEVEN」です。開発者である村上敦司さんの名前から名づけられました。村上敦司さんは、ホップ博士であることから「村上博士」という愛称で呼ばれています。新品種ホップ「MURAKAMI SEVEN」と村上博士の歴史を辿りながら、遠野市の今をご紹介します。

研究者としての転機

村上博士は、大学卒業後にキリンビールに入社。その後、ホップの栽培や品種改良を中心に長年研究を行なっていましたが、入社してから10年が経った頃、転機が訪れます。それは、キリンビールより2002年から毎年発売されている「一番搾り とれたてホップ生ビール」(発売当初は「毬花ホップ一番搾り」という商品名)の商品開発に携わったことです。村上博士にとってこれが人生で初めての商品開発でした。

そして、このときに村上博士の研究者としての価値観を変える出来事が起こります。商品発売直後のある日、電車に乗っていると「毬花ホップ一番搾り」の中吊り広告をみた男性2人組のうち1人が、「このビール飲んだ?すごくおいしいビールだぞ。遠野のホップを使っているみたいで試してごらん。びっくりするよ」と、おいしいと言うだけでなく人に薦めている様子を目にしたそうです。そのときに、ただ研究するだけでなくお客さまに喜んでもらえることこそが重要なんだと思うようになり、人生の価値観を決定的に変えた出来事だったと当時を振り返ります。

世界から認められる研究者へ

村上博士の活躍は国内に留まらず、2010年に世界でも6人しかいないドイツホップ研究協会の技術アドバイザーにも選ばれます。まさに日本におけるホップ研究界の第一人者とも呼ぶべき存在になったのです。このドイツホップ研究協会という団体は、「バドワイザー」で有名なアンハイザー・ブッシュ社を始め、世界的にも有名なビール会社より寄付を受け、その寄付金をミュンヘン工科大学等のホップ研究を行っている機関へ提供し研究資金に充てています。そして研究機関に、年に1度研究成果の発表を行ってもらい、その発表に対し技術アドバイザーたちが意見を交わしフィードバックすることで、ホップ界の発展に寄与するという活動を行っています。

村上博士がこの技術アドバイザーに選ばれたのは、全ドイツホップ生産組合長の一声によるものだったといいます。キリンビールの社員として毎年ドイツへホップの買い付けに行っていた博士は、数多く並んであるホップの中から購入するもの、購入しないものを選別していました。その際に組合長から「なぜこれは購入しないんだ?」とホップの品質やビールの醸造観点から質問され、それに栽培の観点からの考察を加えひとつずつ回答するということを毎年続けていました。

するとある年、ドイツに招待され「1時間何でもいいから話をしてほしい」という依頼を受けることになります。実は、それがアドバイザーに適しているかどうかをはかる試験だったのです。

「村上はホップにおけるすべての分野をカバーしている。栽培・品種改良・ホップの分析・ビールの分析。分業制が主流であるビール業界において、1人でこの知識・経験がある人は希少である」という評価によって、翌年アドバイザー就任に至ったと後に聞かされたそうです。

キリンビール退職後、遠野市へ

村上博士は、2020年にキリンビールを退職し、ホップの研究で長く関わった遠野市に拠点を移します。退職後も、キリンホールディングスの飲料未来研究所技術アドバイザーとして、引き続きホップの研究に関わっています。

また、週末に限定営業している遠野駅近くのジャズ喫茶「BREW NOTE遠野」のマスターでもあります。店内に流れるジャズを聴きながら、遠野産ホップを使用したビールやコーヒーなどをいただく時間は贅沢な癒しのひと時です。村上博士は、いつお会いしても目がキラキラと輝いていて、ホップやビールの話題になるとニコニコとした表情で嬉しそうにお話をされる様子がとても素敵です。

新品種ホップ「MURAKAMI SEVEN(ムラカミセブン)」の特徴

他の品種にはないユニークな香り

村上博士の開発した「MURAKAMI SEVEN」は、イチジクやマスカット、みかんのような香りが特徴のホップです。現在は、キリンビールから発売されている「SPRING VALLEY」ブランドの一つである「JAPAN ALE<香>」に使用されています。

「JAPAN ALE<香>」に使用されているホップは何種類かあり、「MURAKAMI SEVEN」はその一部です。遠野市で多く栽培される「IBUKI」という品種や外国産のホップも使われているので、「MURAKAMI SEVEN」だけの香りや苦みというわけではありません。飲んだ時に、初めに感じられる柑橘系の香りが「IBUKI」で、後から香る爽やかな甘みのある香りが「MURAKAMI SEVEN」によるものだそうです。

過去に、「MURAKAMI SEVEN」が使用されたビールがあります。それは、「MURAKAMI SEVEN IPA」という商品で、数量限定で発売されていました。こちらはホップの大部分が「MURAKAMI SEVEN」を使用しているそうで、より「MURAKAMI SEVEN」の香りをダイレクトに感じることができたといいます。いま取り上げたような他の品種にない香り・味以外にも「MURAKAMI SEVEN」には特徴があります。それは栽培特性です。

栽培特性

ホップ栽培は一部機械を使うことがあるものの、多くが手作業で行われるのでとても手間がかかります。詳しい栽培方法は、以下の記事をご確認ください。

ホップの収穫時期は?遠野でのホップ栽培の流れを紹介!

遠野市は「MURAKAMI SEVEN」が栽培開始されるまで、「IBUKI」という品種のホップを中心に栽培をしていました。この「IBUKI」は収穫の時期には長さ12m近くまで蔓を伸ばします。ホップの棚は5.5mに設定されているため、生育をよくするために伸びた蔓を一度引っ張って下ろす「蔓下げ」という作業が必要になります。この作業は骨が折れるもので、10日間ほどの短期間で数千本もある蔓を一気に手作業で下げていきます。

また、この蔓下げが終わると次は側枝切りと呼ばれる作業が行われます。側枝が伸びすぎると風であおられたときに折れる可能性があり、毬花を守るためにもこの作業が必要となります。

「MURAKAMI SEVEN」の場合は「IBUKI」のように極端に高さが伸びることがないので、蔓下げという作業が不要になります。そして、「IBUKI」の場合は蔓下げをする際にひっぱり下げる作業が大変になってしまうので、通常1本の糸に対し蔓を1本しか巻き上げないのですが、「MURAKAMI SEVEN」はこの蔓下げを行わないので1本の糸に3本ほどの蔓を巻き上げることができます。そのため、収量の増加につながります。また、「MURAKAMI SEVEN」は側枝が伸びすぎることがなく、なおかつ毬花も十分実るので側枝切りという作業も必要なくなります。

このように、栽培特性という面で農家の方にとっても受け入れてもらいやすい品種といえそうです。

ホップ農家から見た「MURAKAMI SEVEN」とは

それでは、実際に「MURAKAMI SEVEN」を育てている農家の声はどうでしょうか。お話を伺ってみたところ、「蔓下げや側枝切りをしなくていいということは肉体的にも精神的にも負担の軽減になっている」とやはり高評価でした。ただ、良い面ばかりではないというのが農業の難しいところです。先ほど1本の糸に対して3本ほどの蔓を巻き上げるとご紹介しましたが、これによる課題も生じてしまいます。例えば、3本ほどの蔓を巻き上げるといっても、もちろんみんな同じ成長速度で育つわけではないので成長具合にばらつきが出てきます。すると、1つの作業をするにも早めに育っている蔓には手を付けることができても、成長がゆっくりな蔓には手を付けることができず、結果同じ畑でもすべての蔓に作業を施すためには2,3周見回ることが必要になります。

他の課題としても、蔓が複数あるのでその分だけ葉も生い茂るようになります。土と接触している根元部分に葉が生い茂るとじめじめした状態になり、病気になりやすいという側面もあるそうで、根本付近の葉の処理などを気にかけてあげることが重要になります。

また、ホップ農家が実際に何年間か育ててみて他の品種と違うと感じた点として挙げられたのが、「MURAKAMI SEVEN」の繊細な性格です。

「MURAKAMI SEVEN」は他の品種よりも繊細な面があり、蔓が上がっていく際に進行方向にあった葉などの障害物に先端が当たってしまうだけで、上に向かうことを諦めて下向きに育ってしまう蔓もいるそうです。かと思えば、下向きに育つ途中で、このままではだめだと思ったのか、自分の蔓を支柱代わりにして上向きに自ら軌道修正してきたりと、「繊細だけど頑固さもある品種」と我が子を見つめる様子でお話されていたのが印象的でした。

2016年頃から栽培が開始された「MURAKAMI SEVEN」ですが、遠野のホップ栽培が60年以上続いているということを考えても、まだまだ未知の可能性を秘めた品種であり、特に収量性という観点からは大きな期待が寄せられています。農家も毎年手探りで試行錯誤しながら栽培に取り組まれているので、今後さらにそのポテンシャルが花開くことを楽しみにしています。

MURAKAMI SEVEN誕生秘話

そんな「MURAKAMI SEVEN」ですが、どのようないきさつで登場したのでしょうか。それは、村上博士曰く偶然の産物だったそうです。もともと遺伝の研究のために交配し育てていた中にのちに「MURAKAMI SEVEN」と名づけられることになるホップがありました。初めはただの研究の材料だったのです。母親は青い松ヤニのような香りが特徴のお世辞にもいい香りとは到底言えないものだったというので驚きです。研究用にと誕生してから約20年ほどの時を経て、栽培特性も満たした20種類のホップをひとつずつビールにしてみたところ、素晴らしくいい香りのするホップがあったというわけです。

村上博士はこの「MURAKAMI SEVEN」ができたのは、「狙って作れたものじゃなくて偶然の産物、運がよかっただけ。色々な方に褒めてもらえたけれど、達成感はないので全然嬉しくないんだよね」と謙遜しつつ振り返ります。

ホップの品種に個人の名前が付けられることは世界的にみても稀なようです。村上博士が品種名をどうするかキリン社内の人に尋ねられたときに、「センスがないから任せるよ」と伝えたところ、自分の名前が付けられたそうです。「名前を決めたのは自分ではなく、キリンビールが付けたものなんだ」と初めて話す方に弁明をする様子には博士のお人柄がうかがえます。

ホップ博士から見たホップ生産地・遠野

村上博士に遠野のホップ農業界の印象を聞いてみたところ、「いい意味で緩い。新しいことにも寛容で新規就農者にも親切で、そういうところに地域性が出ていると思う」とおっしゃっていました。

遠野のホップ農業は、収穫作業は共同で行いますが、それ以外の収穫までの作業は基本的に各自で行います。農家によってホップ栽培に対する考え方、やり方が異なり、それぞれが自身の畑にとって一番いい方法はなにかということに向き合って日々挑戦をし続けているからです。ただ、それは農家同士に横のつながりがないというわけではなく、たびたび他の農家の畑に赴いて、畑の状態や生育状況の情報交換をしたり、時として作業が遅れ気味になっている畑の手伝いをすることもあります。

他者の意見も取り入れたりしながら同じ畑でも毎年やり方を変えるという、既存の枠にとらわれない手段を試みます。このような柔軟な考え方ができるからこそ、新品種で栽培方法も確立されていなかった「MURAKAMI SEVEN」を積極的に受け入れることができたのでしょう。

また、新規就農者に対しての接し方にも遠野らしさというものがでていると博士はいいます。今年の4月から新しくホップ栽培に加わった方が3名おり、独立するまでの3年間は研修という形でそれぞれ先輩農家のところで栽培方法などを学んでいきます。この研修はずっと同じ先輩農家のところで行うわけではなく、ローテーションで複数の農家に教えてもらうことになります。その際にも、先輩農家の皆さんが口をそろえて言うことは、「まずやってみて」その一言だそうです。

研修をする側にとっては独立までの練習の段階ですが、先輩農家にとっては常に本番で、蔓が折れてしまえばその分だけ売上が下がることになります。それでも、実際に手を動かしながら、惜しみなく技術を伝えます。ホップ栽培の直接的な作業にとどまらず、農業機械の使い方や時には機械の修理の仕方まであらゆることを伝授してくれているそうです。

遠野のホップ農家と長年関わりのある博士は、新規就農者が快く受け入れられている様子を見て、「先輩農家は新規就農者が遠野に来てくれたことを喜んでいる。先輩後輩などは関係なく、仲間意識が芽生えているように見える」といいます。

最近では数年前に研修を開始した若手農家がホップ農家として独立できるケースが出てきており、新規就農者のホップ生産量は遠野市のホップ生産量の3分の1以上を占めるようになってきたほどです。来年も新規就農希望者が加わる予定で、遠野のホップ産業は益々盛り上がりを見せることになるでしょう。

「畑からつくるビール」への挑戦

遠野のホップ産業を盛り上げたいという思いは村上博士も強く持ち合わせており、それが徐々に形になりつつあります。それは、遠野での新しいブルワリーの立ち上げです。遠野市にはすでに2つのブルワリーがあるため、第3ブルワリーとも呼ばれているこの醸造所では、新品種のホップの開発や今までにないホップの加工技術を生み出すことによって、遠野にしかない、遠野でしかできないビールを作り出そうとしています。

現在村上博士は2025年春に稼働開始予定となっているこの第3ブルワリーの中心人物として準備に関わっています。その熱量は高く、「遠野のビールの特徴を最大限に出すと言ったら、オリジナルホップを作るしかない。そのためのホップ畑をつくっている。それはなぜかというと、畑からやらないとできないビールを作りたいから。ホップを買ってきただけじゃ作れないビールを作りたい。お客さんに飲んでもらったときに、びっくりしてもらいたい」と意気込んでいます。

新品種ホップ開発の構想は村上博士がキリンビールを退職後、遠野市に拠点を移した後、遠野をビールのまちとして盛り上げていこうという同志の集まりの中で「新品種の開発をやるぞ」と宣言した時から始まりました。その宣言は同じ志を持つ仲間の心に響いた様子で、明らかに目の色が変わるのがわかったそうです。

「これまでの取り組みの延長線ではなく、新しいことを始めることによってまた違う未来が待っているかもしれない。仲間もそう思ったはず。そういう気持ちを大切にしないとダメだと思った」とその時のことを語ってくれました。

それから少しずつ、新品種ホップの開発が進みました。最近では研究はさらに発展し、新しいホップの加工技術まで範囲が広がっています。

新しいブルワリーでは、遠野産の新品種のホップや新技術で加工されたホップを使用するということ以外にも、ブルワリーとしてあまり前例がないような特徴があります。それは、原材料の生産者であるホップ農家がビール造りにも携われるということです。春から夏にかけてが農作業のメインとなるホップ農家は冬場の仕事として副業をしている方もいます。ホップ農家の中にはビールが好きで就農した方もいるため、そういった方は休耕期にビール作りにも関与できるようになります。ホップの特性も理解している人がビール作りに関わり、醸造家と共に研究を続けて、直接お客様に届ける。そして、それを目の前で飲んでもらい生の声を聞くことができる。生産者としては、これ以上ない経験です。遠野をビールのまちとして盛り上げていくうえでホップ生産者とビール醸造家の架け橋となる重要な場所です。

もう一つの特徴として、村上博士は一つひとつのホップの香りの個性を感じてほしいという思いからシングルホップで作るビールのシリーズを作ろうと構想しています。通常は複数のホップを組み合わせてビールをつくることが多いですが、シングルホップはその名前の通り、1種類のホップだけを使用する方法です。飲み比べたときにホップの品種の違いを感じてもらえるような商品を考えています。これも、ホップがそれぞれ持つ本来の個性を引き出し、それをお客さんに伝えていきたいという村上博士の考えがあります。

「本当においしいビールを作るとお客様がどんな反応をするか知っているからやりがいがある。同業者に『さすがですね』と言われると、『そうだろ』と言いたくなる。だからプロとして手を抜かない。説得力のあるものを作らなきゃいけない」と茶目っ気のある表情をした後で真剣な眼差しを覗かせました。

最後に「第3ブルワリーをどういう場所にしたいですか?」と村上博士に質問してみました。村上博士からは、「このブルワリーは今後新しい若い人たちが中心となってやっていくものだから、それは考えていない。ただ、おいしいビールを作る。自分はそのサポートをするだけ」という答えが返ってきました。ホップ研究者としてホップのすべてを知り尽くしたといっても過言ではない博士のシンプルな答えからは、その言葉の裏側に今までの博士が歩んできた道のりが垣間見られるようでした。畑からビールをお客様にお届けするまで、すべてを自分たちでやろうとするそのやりがいは計り知れず、博士の充実した表情には第3ブルワリーひいては遠野のビール産業の可能性を感じることができました。

遠野がホップの生産地であることを全国に広めた「一番搾りとれたてホップ生ビール」の商品開発、そして期待の新品種「MURAKAMI SEVEN」の開発。村上博士がこれまで手がけてきたものは、日本産ホップの可能性を広げながら、飲み手もわくわくするようなものでした。次の挑戦も、さらなる新品種ホップ、新しいホップの加工技術、今準備を進めている新しいブルワリーによるホップにこだわったビールなど、また私たちが驚くようなことを世に出してくれるでしょう。

2024年7月

文:遠藤かなえ
JICA グローカルプログラム研修生

神奈川県生まれ。大学卒業後に地元の会計事務所に就職。多種多様な業界で働く人々に刺激を受け、広い世界を自分の目で見てみたいと思い、JICA海外協力隊に応募。2024年12月頃からタンザニアに派遣予定。

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